腐れ縁バレーボール

バレーボールよ。永遠に。

腐れ縁の由来 ~中学時代その1~

結局、母親に寄り切られ男子バレー部に入部。

部員数はかなり多かった。1~3年生で30人程。

かなりの大所帯。

当時は現中垣地監督がスーパーエース

華麗なフォームから繰り出すバックアタックが印象に残る。

今の様にジャニーズに頼ることなくテレビの視聴率は高かった。

バレーボール人気は高かったと言える。



その中学校のレベルはお世辞にも高いとは言えなかった。

指導教員はバスケ出身。

やはり指導者の力は大きい。

後日に詳しくお伝えしたいが、中学バレーは小学生からの基礎の積み重ね、中学生からの専門指導者による確固たる指導だと思う。

基礎練習はするものの、なんとなくの練習の繰り返し。

後に高校入学時に基礎の大事さを身を持って痛感した。

しかし、そんなチームでも上手くなりたい!そういう思いは人一倍強かったように思う。

強豪高校でプレーしていた兄のビデオを何度も何度も見返した。

こんな選手になりたい!
こんなかっこいいスパイクを打ちたい!


こんな思いが発揮しだしたのは3年生になった頃…。



続きます。。。